子供が「僕っていい子でしょ?」と言ってくるのは危険信号か
こんにちは、柴子です。今日は勝手に育児論です。
いきなり息子の話で恐縮なのですが、うちの子は昔から「コンプライアンス遵守タイプ」で、いわゆる「いい子ちゃん」です。規則や大人の言いつけをしっかり守るため、学校の先生からの評判も悪くなく、親の私から見ても手のかからない育てやすい子です。
「僕っていい子でしょ?」と言ってくる誇らしげな息子に、「そうだね」と答えつつも、多少の違和感を覚えたので、ここではその違和感の落としどころについて検討してみます。
「いい子」であることに物足りなさを感じてしまう親の心情とは
子を持つ親ならわかると思いますが、子供は生まれながらに個性を持っています。多動でやんちゃないわゆる「悪ガキ」タイプの子供っていつの世でも一定数いますよね。そんな子を見ると、「うわー、この子のお母さん大変そうだな」と思う反面、「うちの子もあんな風にもう少し自由にふるまってくれてもいのにな」とか「うちの子は逆に子供らしくないのかな」なんてほんのわずかに不安を持ちます。
人間というのは不思議なもので、なかなか現状に満足できない生態を持っているものです。「無い物ねだり」や「隣の芝生が青く見える」現象から脱却することが難しいのです。
「凡人」よりも「天才」を望む親の願望の表れともとれる
「うちの子、天才かも」と親なら誰しも一度は期待を持つのではないでしょうか。
では、皆さんは天才と呼ばれる人物についてどのようなイメージがありますか?
一般的には「型にはまらず、常識にとらわれない自由な発想、異常な集中力と破天荒な行動」をとるような人物が思い浮かぶのではないでしょうか。
- アインシュタイン
- トーマス・エジソン
- 織田信長
- 坂本龍馬
- スティーブ・ジョブス
- ビル・ゲイツ
- スティーブン・スピルバーグ
これら偉人たちの幼少期の”トンデモ”エピソードは枚挙に暇がありません。
つまり、「扱いづらい子=型にはまらない子=天才」といった連想から、「いい子=型にはまった子=凡人」といった連想になり、結果「いい子」の印象が親たちの心をざらつかせるのではないでしょうか。
発達障害の診断が下りずがっかりする親たち
精神科医の香山リカさんは、最近の傾向として子供に「発達障害=天才性」を望む親が増え、発達障害の診断が下りないとき、むしろがっかりされることがあると著書の中でおっしゃっていました。
確かに現在では多くの偉人たちが「発達障害」や「学習障害」の傾向にあったことが示唆および公表されています。そのため、これまでネガティブな受け止められ方しかされていなかった「発達障害児」がポジティブに捉えられ始めたのだと考えます。
異常な集中力は「障害」ではなく「能力」として認められ、機会をうまく選択できれば爆発的な利益を社会に提供できるからです。
「僕っていい子でしょ?」に込められた子供の心理
「僕っていい子でしょ?」に込められた子供の心理は、誇らしげな表情からして、「いい子でいることは良いことである」という認識だと考えます。「良いことをしたから褒められたい」ので、わざわざ親に言いに来るわけです。つまり、アドラー心理学で言うところの「承認欲求」の表れだと言えます。
アドラーは承認欲求を否定しています。「良ければ褒めて、悪ければ叱る」教育方針は一般的だと思いますが、自己否定的な価値観を形成する要因になりかねないと警鐘を鳴らしているわけです。
どういう事かというと、「褒められない自分、これができていない自分は誰からも受け入れられない」という心情になりやすいのです。つまり、自分の価値や存在意義を他人の判断にゆだねる土壌を築いてしまうということです。(詳しくはベストセラーになった「嫌われる勇気」岸見一郎 著をご覧ください)
他人に認められることを自分の目的と勘違いしてしまうと、後々の人生に悪影響が出てきます。自分が心から欲する生き方を歩んでいないため、いずれ歪(ひずみ)が生じるからです。
私は世の中に蔓延する「生きづらさ」の根底はここにあるのではないかと推測しています。不安や不満をもつ多くの人は、真に自分が生きたい生き方を送っていないのです。
思い返せば自分も親の期待に応えるような子供だった
皆さんも経験はないでしょうか。「親に言われたから」「先生に言われたから」「普通そうだから」というエピソードです。
- 資格をとりなさい
- きちんとした会社の正社員になりなさい
- 飲食業は水商売で不安定だからやめなさい
- 女なんだから子供は産まなきゃ
- 子供が誰も結婚してないなんて恥ずかしい
至って普通のことですよね。むしろ子供を想った親が言う、鉄板のセリフですよね。実はここが人生を攻略できるかどうかのターニングポイントだったりするんです。
このセリフを言った親たちは幸せそうですか?
このセリフの通りに人生を進んだ今、何の悩みもなく不安や不満もなく、幸せに生きていますか?
私は人生の岐路を比較的自分で決めて来た方だと思っていましたが、やはり植えつけられた固定観念のようなものが存在していることに最近になってようやく気付くことができました。その考え(親や世間の考える幸せ像)から一旦距離を置き、改めて自分の生き方を自分なりにひたすら考え抜いたとき、スッと気持ちが軽くなり腹落ちしました。「私はこのままでいいんだ」という原点に回帰したことで、状況は何一つ変わっていないのに不安や不満が一気に消えたのは興味深い経験です。
子供の承認欲求を回避する育児方法とは
でも、皆さん褒められたいですよね?そして、子供のことを褒めたいですよね?
それでは子供の承認欲求を回避するにはどうしたらいいのでしょうか。
褒めずに喜び感謝する
答えは至って簡単です。喜んで、感謝すればいいのです。
「すごいね」ではなく「嬉しい」と言うのです。ちょっとした言い方の違いなのですが、前者は相手にへりくだっている(自分主体)のに対し、後者は相手に喜んでもらう(相手主体)ことに重点が置かれます。これにより社会に貢献する基盤ができると言います。
更に突き詰めると、褒めるという行為は自然と上下関係を築いていることが問題なのだそうです。子供と言えど対等に接しすることが重要だとアドラーは主張します。
そういえば「妻のトリセツ」などトリセツシリーズで有名な脳科学者・黒川伊保子さんの著書内でもありましたが、日本の男子が会話下手なのは母親の責任なんだそうです。「早くしなさい」「あれはやったの?」という会話からは一方的な報連相のみで共感性が感じられません。「お母さんはこうした方が良いと思うけどあなたはどう思う?」「何からやった方がいいかな?」と言った、子供自身の考える自主性を重んじることが大事だそうです。
ありのままのあなたでいいということを伝える
そして、ありのままの子供を愛することが最も重要です。テストで悪い点を取っても、ちょっとやる気がなくなっても、どんな状況でも「あなたはあなたであることに意味がある」ことを伝えること。子供を信じて「勇気づける」ことがアドラー心理学の肝なのです。
子供が将来の夢を話すとき
子供が将来の夢を話すとき、親は何て言ってあげればいいのでしょうか。
脳科学者の苫米地英人さんが言うには、「いいね、君なら世界一の○○になれるよ」と勇気づけるのが正解だそうです。大事なのは、親から見てあまりお勧めできなさそうな職業であっても、決して否定しないことです。親の狭い料簡で子供の無限に広がる伸びしろをつぶさないことが肝要です。例え夢がころころ変わっても、その度に「世界一の○○になれるよ」と言ってあげるそうです。
余裕があれば、「何でそう思ったの?」「それが叶うとどんな良いことがあるかな」と質問を重ねて夢をどんどん広げて行きましょう。子供自身が何を大事にしているのかがわかるようになります。
まとめ
「僕っていい子でしょ?」と言ってくる誇らしげな息子には、「すごくいい子だね」と褒めるのではなく、今度から「君がいい子で母は嬉しいよ」と喜んでみせることにします。いい子だから褒めるということは、子供が母親に認められる人生を選びかねないからです。
そしていい子である自分に満足している本人を尊重してあげようと思います。「型にはまっているから凡人」という発想そのものがしょうもない型にはまっていることに気づきました^^
ちなみに私が求める育児のゴールは次の2点です。
- 子供が精神的自立を果たすこと
- 子供が経済的自立を果たすこと
つまり、「子供自身が決めた自分の人生を、自走できるようになること」です。そのために親の私ができることは以下のことかなと思っています。
- 子供の望む人生に気付かせること
- 勇気づけて応援すること
「こどもが自走できるまで併走支援すること」と言い変えられますかね。
以上、皆さんの育児の参考になれば幸いです。今日もここまで読んでいただきありがとうございます★
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